翠嶺クラフティング

個人作家、上住断靱の活動記録

○○ガチャの話

 親ガチャがテレビで紹介されてSNS等で話題になっている。概ね若者が使っていることを好ましく思わないという紹介されたままの反応だ。実際、子にとって親という存在は大きいから影響を受ける。そのまま大きくなって、色々と損をしたり、親から迷惑を受けて不幸になっている人も多い。
 ついで色んな「○○ガチャ」が出てきた。
 人生そのものが波で幸、不幸の運による波と自身でオールを漕いで行きたいところへ行くものとでできている。ただ回すだけのガチャではないのである。自身で切り開ける要素は絶対にある。それは地道なもので、今日明日で変わるものではない。一瞬で変わることもあるが、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、最後に手に入れたり、抜け出したりできるものだ。
 人や本、何かとの出会いがなければ「知らない」で人生を損することは多い。そこから脱することも難しい。変わるには大きなエネルギーが必要だから。時間がかかるから。
「○○ガチャ」という例えは分かりやすくて、使うこと自体は問題ないと思う。
 ただ、それのせいにしてうずくまっても、誰も助けてくれない。

「最強伝説 黒沢」という漫画に正確なセリフは忘れたが「来てくれたか? 自分の人生でピンチの時に援軍なんて」とある。その通りだ。プルプル震える足でも立ち上がって、ヨロヨロしながらでも一歩ずつ踏み出していくしかない。
 ある程度、人生が充実したエネルギーのある人による、何かを変えるエネルギーについて無視したガチャ批判と、苦労していて抜け出したか抜け出せていないか途中なのか、エネルギーのない人のガチャ擁護を見てなんだかなと思った。
 色々書いたけれど、もうその言葉自体はあって消えはしないのだから、そんなものは放っておいて自分の人生を歩んだ方がいいよな。