大坂文庫

個人作家、上住断靱の活動記録

慰めのアイテム

 年度が変わる際に出勤簿をコピーして持って帰ってきた。恐るべきことに勤め先の出勤簿は手書きだ。だが、手書きだからこそ色々残せるものがある。
 指示があって早く出てきたのに時間外手当が出ていない日、元々はグレーであったものが完全に黒となった言質を取った日、それぞれに印がつけてある。
 前任の上司がいなくなって以降、半年を待たずして会社の労務状況は元のブラックに戻りつつあった。合理的でないことが通る。論も理もないことを押し通す。我が儘おじさんのワンダーランドであった。何かあればそれを放り込まれる私と同僚A。同僚Aは昨日半泣きになっていた。あれほど真面目に仕事をしていたのに、「もうええわ」ということも増えている。
 私は「はいはい」と受け流している。
 この出勤簿コピーが手元にあるからだ。もちろん、それだけでは意味がないけれど。来るべき日のために今は反骨心を抑え、都合の良い人間を演じるしかない。煮えくり返っても我慢だ。最後の最後で敵にしょんべんをちびらせろと堪えている。
 しかし、流石に物理的に無理という話をしているのに、「そんなもんは自己都合、これも仕事」といって押しつけるのには笑った。自己都合と言われているものも、仕事であって、自分から生み出したものじゃない。それを実行したければ、全員に仕事を割り振りし直さないと無理だよと。
 割り振っても、割り振られた人がきちんとできなくて結局戻ってくるんだが。そのスキルもどうなのと思うが、どうしようもない。出勤簿コピーはそんな私を慰め、強くしてくれるのである。

ある決着

 新入社員として今の勤め先にきた年の6月。
 私は雨の降る中、歩道の水たまりを溝に流すという作業をひたすらやっていた。今となっては滑らない話だが、当時は驚愕したものである。今とは違い、曇り無き眼で「新社会人として頑張るぞ!」していた純情青年であった。
 平目野郎を極めると、地獄の鬼でも思いつかないことを当然の如く命じることができるのだ。
 平目曰く「水たまりがあるとお客様の足が濡れるから」だそうだ。
「既に雨で濡れとるやろがい」
 というツッコミは通じない。
 10年以上前から変わらない小さな北●●。
 道行く人やお客さんに、「雨降っているから意味ないよ」と親切に言われる始末。
(わかっとるがな……)
 苦笑しながら水たまりをはいた。
 当時の平目は絶好調で「将来の役員候補」とまで言われていたのである。
 その彼は昨日、島流しとなった。
 正直に言おう。
 滅茶苦茶スカッとした!!!
 10年以上彼は学び、成長せず、転勤先でもパワハラを続けていたのだ。そして、遂に「こいつは駄目だ」と引導が渡された。
 掃き溜め所属となった彼の扱いは、役員候補といわれていた時より遙かに劣る。長年いじめてきた人間にも仕返しされるだろう。私も平目について少し聞かれた時に「10年以上前からそうでした。もう治らないでしょう」と答えた。
 会社を辞めようとしながら、未だにいる状態だが、この光景を見られたことはちょっと良かった。私の中で一つの区切りとなった出来事だった。

純粋さ

 純粋に物事を信じると食い物にされてしまう世の中だ。
 私もかつては純粋であったが、なんだかんだで失った気がする。今となっては偏屈に行動する素っ裸おじさんだ。
 話が逸れた。
 とにかく純粋で真っ直ぐに物事を信じて実行できるのは、上達への近道でもあり、人から愛されやすくもある。師事する人間はよくよく考えて選ばなければならない。それは、一人である必要はない。様々な道があり、それぞれに師匠がいていいのである。
「あ、この人が言っていることで目が覚めた」
「この人に一生ついていきます」
 あまり抱かないほうがいい発想だ。
 目が覚めたのは気のせいで、元々自分が考えていたことを明確に言っているだけかもしれない。
 一生引っ張るなんて相手は一言も言っていない。
 とある歌詞にあるじゃないか。

「お仕事でやってるだけかもよ?」
 特にSNSを全部止めさせ、外界との接触を断たせるものは危ういと思っている。確かに、行動に集中できるかもしれない。だが、「何一つ続かない」と言っていた人がまた色々中断したら元の木阿弥ではないだろうか。
 SNSで頑張っていることや、日々の悩みや不安を発信することは承認欲求や自己顕示欲云々とマイナスに見られがちだが、応援してくれる人も増えるというメリットもある。不安を煽るばかりのメディアや心なき者に流されるだけではないけない。
 とあるオンラインサロンの一件を見ながら、最近、音沙汰のない友人を心配したり。原稿書いたり、ウマ娘をやっている。

玩具じゃない

 五月の文フリ東京まで二ヶ月を切ろうとしている。長編の原稿は後半にさしかかったところで、今月中に仕上げなければ製本には間に合いそうもない。毎日、少しずつ進めていれば今頃は完成したものをようやく毎日取り組んでいる次第だ。
 花粉症が今年は酷く、薬漬けの日々である。目が痒ければイライラも積もり、勤め先に行けば常に不機嫌である。そうした人間の不機嫌に輪をかけてくる奴がいる。
 自分が有休を取るからと、早出の要求に時間外勤務の要求である。ダブルパンチだ。
 手当が出るならばいい。
 しかし、彼はサービスでやれという。それこそが古からの人情だと本気で思っているのだ。
 阿呆か。
 ただ単に私の時間が貴様から見ればタダと言っている。
 コンプラコンプラ言いながら、不合理な理由で違法を行う最低の思考回路だ。私の人としての尊厳も踏みにじっている。
 更に問題なのは、そういう面を指摘すると、怒って物を投げつけてくることである。悲しいかな、還暦を過ぎても分別のつかぬ男がいるのだ。それを野放しにしている上司も問題である。
 人には踏み込んではならない領域がある。
 普段から良いように使い回されているが、それはお賃金あってのことだ。出ないものなら証拠を集め、遅延損害金を含めて返して貰う。
 まだまだ吐き出したいことはあるものの、原稿を書かねばならない。いいことをできるだけ書いていきたいが、どうにも収まりがつかず、ここに記す。

全知全能

 今週頭に大阪は緊急事態宣言の期間を終了した。週の後半には東京の延長に合わせて自粛期間が延長になったけれど、これで会社でも予定していた時短勤務が終了するかもしれなかった。
「来週からはフルタイムか。しんどいなぁ」
 と思っていたが、時短勤務の延長が決定した。期間としては3月いっぱいだ。
 これはありがたい。
 やりたいことを少しでも進めることができるのはもちろん、気持ちにも余裕ができる。無意味に拘束される時間が一時間でも減ることは精神の余裕にも繋がる。
 今の勤め先では何故かありとあらゆることを「やっているだろう」と決めつけられて、様々なお願いや質問電話が来る。

「知らんがな」と先に言うことが多くなった。先にいた上司達はもう定年退職してしまったが、その人達がつっけんどんだったのも今では分かる。何度もやられてうんざりしていたのだ。
 ただ、私の場合は「先にやっているかどうか確認しませんか?役員さんでも、これ上住君がやってんの?て聞きますよ」とプラスアルファ言っているからまだ親切だと思っている。知っていることがあっても、担当部署に繋げる。何でも請け負っていたら首が回らなくなるからだ。
 勤め先だけかもしれないが、しっかりした人は思ったより少ない。毎年支払っている経費すら把握していないし、調べもしない勤続うん十年の人たち。他諸々でもそういった出来事が多々ある。「事務仕事が全くできない」と診断された私より、やらないのはどうなんだと思うけれど。それぐらい手を抜いたほうが生きて行くには楽なのかもしれない。
「私も体は一つしか無いし、全知全能じゃないですよ」
 中にはごねる人もいて、時々吐く言葉である。
 ……ここまで書いておきながら、電話をかけてきた相手に「私ではない」と言って、すぐに担当部署や担当者を言うから「分からなかったら、取りあえずかけとけ」みたいになっているのかもしれないと気がついた。今度から「えー……あー……」て言うようにしようかな。

3月に入る

 あっという間に2月が終わった。やることは一つ一つ達成していくしかないが、早く出版でやっていきたいという思いは強くなっていく。休日に作業が進む故にその充実感が半端ない。お賃金を貰っていても、勤め先にいる間の「何をやっているのだろう」という感情は日に日に大きくなっていくばかりだ。
 私のメンタル面もあるが、今がその時で、タイミング良く巡ってきたのではないか、と思っている。昔はできなかったが、今はできるということも多い。
 他の人と組むことで作業に〆切が出来たことも大きい。
 一人試行錯誤するより、意見を貰えるし、一つ商品を世に出すまでの修正をある程度行える。
 3月は大坂文庫の新サービスをリリースする予定だ。
 苦手な事務作業を己の尻を叩きながら進めている。
 独立して仕事をしたことがないから時々怖くなる時はある。経験したことがないことは誰でも怖い。定期的にやってきていた卒業、入学というものもなくなっている。しかし、学生の時はそれを受け入れてなんとかしてきたではないか。
 別れの季節。
 3月は会社を去る、プロローグになったと振り返られるよう一層励んでいく。

かりんとう

 YouTubeの猫動画は再生数が多い。猫が出ているだけで再生数が増える。かわいいから仕方がない。私のように事情があってペットを飼えない人間には、見ているだけで癒やされる。
 最近ちょいちょい見ているのは「猫の前でかりんとうを食べる」シリーズだ。
 猫によって反応が違うのは面白い。
 心配して「食べんな」てやる猫、「何してんの?」て顔になる猫、「またアホなことやっているな」となっている猫など様々だ。
 そこから浮かび上がってくる猫と飼い主との関係性も垣間見えて、面白いと思っている。猫の感情というのも分かるし。また、猫もかりんとうが「うんこに見える」のだということも知って、生き物の知能や感情についてちょっと考えてみたりもする。
 因みに、かりんとうをあまり食べたことがない。たまたま機会がなかっただけだけれど、お気楽にとはいえ、ダイエットをしている今では食べにくいお菓子だ。
 そういえば、かりんとうと間違えて本物を食べた漫画家さんがいましたね。そのエピソードを読むなり、あまりネタにしていると本物を食べる羽目に合うかもしれないと思うのであった。