翠嶺クラフティング

個人作家、上住断靱の活動記録

「仕上がった」話

 3年ぶりぐらいに勤め先へ早く行くのを止めた。前回は定年退職する前のボスが「早く来んな」と行った時だ。この人は労働基準法ギリギリをいく人で、最後まで私に通報まで至る言質をとられなかった。そのスタンスを今も尊敬している。
 今回の理由は時間外手当が出ていないことはもちろん、新しいビッグボスがそんなに早く来ないこともあったからだ。お家で過ごすことが出来ない前任のように、早朝出てくることはなく、お出迎えの儀式は必要なくなったのだ。加えて、7月の人事異動によってオフィスの入口の狭い受付におっさんが5,6人ひしめき合っている状態になっており、馬鹿らしかったこともある。
 直の上司にもうこの時間には来ないことを伝えた。彼も無意味を感じていたから、小言もなかった。
 私は定時になったら、ち回りの戸締まりをしてさっさと帰っている。
 朝も通常出勤となった今はいよいよ基準法内で仕事をするようになったといえよう。ここまでくるのに12年かかった。
 勤め先では定時出勤、定時退社は今でも妬みや恨みの対象である。「何の仕事もない人」と見なされるのだ。ただそれは狭い世界でのこと。そこを気にしてヤフーニュースをタラタラ見て時間を潰しているのは、自分の人生を潰しているのと一緒である。
「飛ばされて環境が変わるのでは?」
 ということもあろう。
 そうなりにくいように、人が面倒くさがる仕事を引き受け、自分の知識として蓄えていく。いつしかノウハウを持っているのは自分だけになる。仕事を握りこむことはなく、飛ばしにくい人間になるのだ。
 こうして勤め先ではクソッタレな存在になったものの、できた時間は無駄にしない。やりたいこととかを現実に進めていくことに使っていく。病気のせいもあったけれど、もう傷のなめ合いであったり、自己を慰めるだけのことにうんざりしてきた。リスクを考えながら勝負に出る時だ。

数年ぶりの熱海

 大学時代の先輩たちに誘われて熱海へ行ってきた。勤め先の人たちも7月下旬から8月中旬にかけてのワンオペを知っているだけに気持ちよく送り出してくれた。数年ぶり二度目の熱海は若者たちでごった返していた。

 泊まった宿は夕食がバイキングで飲み放題がついている。
 ひとっ風呂浴びた私たちはほどほどの飯をつつきつつ、ビルの隙間から見える花火を楽しんだ。着いた当日は花火大会があったのだ。野郎三人だったから直接は見に行かず。
 勉強会等も兼ねていたから、熱海観光はほどほどに温泉、飯、勉強という具合であった。もちろん、雑談もたくさんしたが。
 先輩たちとはもう10年超の付き合いになるが、遠出の旅行は初めてである。
 学生時代は泊まり込みで同人誌を作っていたぐらいだ。
 旅行はそれぞれの基準が垣間見える。そんな発見もあってリフレッシュしてきた。旅行前に新たな課題はできたのだけれど。

 最終日は熱海の地元チェーン店「磯丸」で寿司を食べた。ホテルのバイキングではほぼカピカピになった寿司しか食っていなかっただけに身にしみた。
 たまたま開店時に入り込めたから、列に並ばずに済んだ。

 そして帰阪後は難波のニューミュンヘンへ。
 反省と思い出の振り返りには丁度いい場所。
 明日からは9月。
 やるべきことはたくさんあるので、ヘタレないように元気をつけて乗り切る。今年の目標は栄養ドリンクに頼らずに、その他の方法で過ごすこと。


20数年ぶりの姫路

 日曜日に友人と姫路へ行った。彼とは毎年、旅行に行っていたのだがコロナ禍がきてから3年ほど行っていない。今回はリハビリと称して小旅行に行くこととなった。前日まで気になっていた台風も大きく東に逸れ、傘を持たずに家を出た。
 姫路は小学生の頃、祖父に連れられて行ったことがある。
 カメラを持たされて「好きに撮れ」と言われたことを今でも覚えている。姫路城を撮り、好古園という庭園でも写真を撮った。鯉にハマって写真を撮りまくった記憶がある。
 綺麗になった姫路城は文字通り白鷺城と呼べた。


 曇天だったことが少し残念。

 祖父と訪れた時と同じ構図で一枚撮った。

 好古園の写真は10MBを超えてしまったのでアップを断念。
 昼は近くの食事処で官兵衛そばとビールをキメた。
 遠目の神社にも行く予定であったが、友人の体力に限界が来たため大阪へ戻ることに。小旅行に無理は禁物だ。

 旅の反省はニューミュンヘンで。
 ビアホールは夏の暑さでドロドロになった内臓を浄化してくれる。
 お盆休みのない身ではあれど、お盆休みの人と遊びに行くことは楽しい。夏休みを感じるからだ。





孤軍

 先週は事務職であるにも関わらず、自分の席に一時間も座っていない状態であった。コロナになったり、濃厚接触者になった人が数名いて、その分をそのまま担ったかたちとなった。その中で「お前は熱が出ても来いよ」とつまらぬ冗談を言った人もいた。その人も翌週には来ていなかったので鼻で笑った。
 休むのは仕方がないことだが、流石にサポートがなければきついコンディションになってきた。
 今週は手が入って、外出の用事は他の人と上司が済ませてくれることになり、中で集中して仕事が出来るようになったから少しマシになった。それでも大変なことに変わりはない。こういう時に限って無茶な印刷を行い、複合機を壊して、「修理の電話して(自分でしろや。儂はお前のママじゃないと思った)」と言ってくる人間もいる。急ぎの用事を言ってくる人間もいる(見て見ろ。お前に割く時間はないと遠回しに言った)。部署内で現実的ではないルールを作って、こっちに協力を求めてくるスカタン部署もいて(無理があるから部署内で相談しろと言った)、精神的にも摩耗している。
 ただ、気の毒に思ってくれる人もいて、それなりに助けて貰っている。
 孤軍とまではいかないが、これを乗り切ったら多少はお手当頂けると報われるのだが……。
 それを期待しても詮無し。
 仕事の内容は一つ一つがしょぼいから何をやっているんだろうなと思う。
 家に帰ってから手に職をつけるべく頑張るしかない。
 どうしてもゲームに手が伸びがちではあるけれど。

ARKにはまる

 少し前にARKが無料キャンペーンをやっていたこともあってダウンロードした。古生物が闊歩する場所に飛ばされ、サバイバルをするゲームだ。パンイチから始まり、素材を集めて道具を作り、周囲の古生物をペットにしながら発展していく。一応のボスはいるものの、自分で目標を決めながら遊ぶかたちだ。
 恐竜大好きな私は以前よりこのゲームが気になっていた。
 ただ、ダウンロードするまでが長かった。FF14とは異なって、ゲームを始めるまでもハードルが高い。無料なのに。
 友人が一緒に遊ぶサーバーを作ってくれたが、それも設定に一難あった。
 あと、バージョンアップがあると自信の環境やサーバーもちょっと一手間入れないといけないのが玉に瑕だ。
 それでも、ほぼ毎日ログインしている。
 インしていない間も恐竜のお腹が減るので、餓死させないように餌やり等のお世話も数日に一回はしなければいけない。
 恐竜のブリードもできるので完全に沼である。
 ただ、毎日少しずつ発展するARKを見習って、こちらも止まっていた作業をちまちまやる癖づけるようになった。新しいソフトを使っていて、覚えることの膨大さに手が止まっていたものだ。幸い、どちらにも一緒にやっている人がいるから成果を喜び合うことができる。
 あとは拠点で待っている恐竜たちに胸を張れるような人間になろうとリアルでも努力を重ねていく。そう、デジタルのペットであっても大好きなのだ。私にとってはバーチャルの彼女より効果があるかもしれない。

役割の話

 役割を全うすることは中々難しい。慣れたことなら立ち振る舞えるけれど、経験が少ないことだとぼーっとしがちであったりする。
 先日、肝に銘じているつもりだったことでも意識が欠けてしまっていた。自分の骨肉に染み渡っていないのだ。これは大いに反省した。やる前の準備運動みたいなものが欠けていた。機械を起動させる時のようなチェック項目が必要である。全てを確認してGOという状態にもっていかなければならない。
 考えてみるとそれはしんどい。他の人はしていないかもしれない。
 しかし、めんどくさがらずに継続することは己の力になる。
 何より準備が大事であることはあちこちで学んだではないか。
 最近では、人からの発言により周りからどう見られているかも考えるようになった。目を気にするというより、どんなポジションとして見られているかという視点だ。それに乗っかるのもまた面白いと思うようになった。苦しいが成長に繋がることは間違いないだろう。
 しかし、筋トレを継続しているのに、たった一日の不手際で腰痛となってしまった。油断大敵。常に健康であることも役割として大事だ。重ねて反省。

7月8日こと

 既に世間で話題になっている通り、一人の政治家が凶弾に倒れた。
 それが誰であれ、あってはいけないことである。どの政治主張もその暴力の危険に晒されることになるからだ。蛮行者に同調しては、自分も同じ目に遭っていいと言っているようなものである。
 私ならば、前段階となった判決を下した裁判長の立場であったなら職を辞すほどのことだ。当人にそれほどの覚悟があったと言われたら、なかったと思うが。
 勤め先で糞味噌な状態になっている時に第一報を聞いて、心底、悲しくなった。
 件の政治家を支持してはいなかったが、起きてはならないことの上に、選挙そのものも破壊されてしまった。
 思い浮かぶことは多々あって書き切れないが、無責任な人たちがこれまで垂れ流してきたことについても考察するとともに、今一度、自分たちが歴史の上に生きていることを理解する時でもあると思う。
 世の中が混沌とし始める時、救いの手は現れるものだ。
 それが今ある政党とは限らない。
 希望を持って、自己研鑽することは、彼の死を無駄にしないためにも大事ではなかろうか。勿論、彼に追従する知識・技能でなくていい。蛮行を決して許さぬことは「議論を尽くす」という人類に可能な武器である。