翠嶺クラフティング

個人作家、上住断靱の活動記録

自分のもの

 祖母の初盆も済んで、あとは文学フリマ大阪11を待つのみとなった。今回もスタッフ仕事で出店はしていないが、作品の載った本が販売となる予定だ。文学フリマ大阪に作品だけでも出るのはけっこう久しぶりかもしれない。

 ここのところ創作活動は芳しくなく、書くことは増えても人の本ばかりという状態が続いていた。自分の作品を増やすことも考えて独立したのに、これでは本末転倒である。アイデアだけが先行する書く書く詐欺をしていて、どうにかしたいと思うばかりであった。
 ようやく動き方が決まって、準備や活動に入っている。
 書いて発表しなければ存在しないのと一緒だ。
 ライター業では過去の作品で仕事を取って、おまんまを食べさせて貰っているのに、新しい作品を生み出して別の実績に繋げることをしていなかった。仕事の実績と並行して、作品を発表することはとても大切である。だが、分かっていても中々難しい。
 収入のことは常に考えなければいけないし、別のことをすれば、もう一方の仕事がたまる。不義理を働いているところもあって、それも解決しなければいけない。

 一つ一つ完了していく傍ら、自分の小説の数も増やしていく。

祖母を見送った日

 先日、父方の祖母が亡くなり、見送ってきた。御年89歳。大往生であった。
 昨年の夏に施設に入ってから認知症が進み、最後に会った時はそれほど話すことができなかった。

 彼女がまだ元気で、ゆっくりと思い出話もできたのが施設に入る前の食事会である。鰻弁当を取って、私と父母、叔母という少数の集まりだった。
 祖母は小さい缶ビールを飲み、私たちがアメリカ在住時に祖母も手伝いに来た時の話や、小旅行に行った時の話など、楽しそうに話していた。

 神戸の祖母宅へ数か月おきに皆が集まっていたのは祖父の法事をきちんとしていた頃だ。人がよく来て、結婚や出産などで新しい顔が増えた時でも会った。祖母はその頃が一番楽しかったと話した。それが途絶えたのはコロナ禍に入ったからである。

 祖母はアクティブな人であったから、老人向けのヨガ教室やカラオケにも参加していた。

 カラオケはコロナ禍でなくなり、ヨガ教室は高齢で参加していたために、やんわりと言われて追い出された。年を取るとつまらなくなるというが、正にその通りだなと思っていた。

 祖父はすっと旅立っていったが、祖母は逞しい生命力を見せつけてくれた。

 医者にいよいよだと言われてから、骨折も治れば、肺炎からも快復し、私たちを驚かせたものだ。最後は流石の祖母も食事を摂れなくなって亡くなった。どのタイミングかは分からないが、鰻を食べたいと言っていたらしく、お粥にタレをかけて食べて貰ったそうだ。

 最後に食べたがっていた鰻を施設に入る直前、一緒に食べられたことは幸いだったと思う。

 祖母は天然であった。

 我が両親結婚の際には結納金を封筒に入れ忘れて、結果として場の緊張感がとけたこともある。

 祖父が亡くなった時には、棺に花と一緒に数珠を入れてしまって、祖父と一緒に燃やした。

 彼女のしでかすことはほどよくオチがついてコントのようだった。

 祖父母の家は処分することになりそうだ。

 阪神淡路大震災で「全壊」と判定されたものの、祖父が自力で修繕した家は、よく預けられていた私にとっても思い出の場所であったが、いかんせん手狭で古いから仕方が無い。

 寂しくはあるが、祖母のことを胸に私は私で自分自身の旅を続けていかねばならない。

文学フリマ東京36報告

 随分と更新が遅くなってしまった。
 文学フリマ東京後は東京で少し仕事をしていたせいかもしれない。そこに実りはあって、それから随分と仕事に追われていた。いくつかの原稿に詰まっていたところもある。それを昨日解消できた。
 一つ終わったところで、昨晩、祖母が亡くなった。今日は友引であるために、お通夜は明日になりそうだ。お陰で今日一日が休みのような状態になったからかもしれない。書く余裕が少しできた。辞めた職場にまだいたら、どうにかして出てこいとか言われて、またキレ散らかしていたことだろう。ベース作りのためとはいえ、ぶっ通しで仕事をしていた私へ祖母から休日を頂いたと思うことにする。

 
 文学フリマ東京36の結果は売上冊数でいくと、見込みの半分もいかなかった。
 話し込む友人知人が来るわけでもなく、初めましての人や見本誌を見て飛び込んでくる人もいない、盛況な会場にありながら、孤島にいる気分であった。
 思えば売る方が先行して、笑いのある会話をしていなかったようにも思う。最初は立って頑張っていたが、後半は座ったりしながら粘っていた。反省点はいくつかある。だが、結局のところ、もっと分かりやすくすれば良かったのである。売上が増えているところもある。色々が臨機応変にできていなかった。
 へばった私は向かい側の犬尾春陽に心配されながら、貰った十万石饅頭で体力を回復していた。
 東京は大味になっている感じがした。
 下手すれば他の文学フリマのほうが売れるのである。この逆転現象は少し面白い。ならばもう、東京での役割を終えたと考えてもいいのではないか。文学フリマガイドブックや卒塔婆が消えたように。発足したカンメラーのリストにバトンタッチするべき時なのかもしれない。

文学フリマ東京36はG-01へ

 翠嶺クラフティングは今回も文学フリマ東京に参加する。前回はブースだけ取って、他の人に任せていた上住だが、今回はほぼ一日中店番をしている予定だ。文学フリマは来場者数を更新していても、弊社は行列ができているわけではないので、気軽に立ち寄って雑談していって欲しい。

 今回の新刊はアンソロジー

c.bunfree.net

 

 「カンメラーのリスト」という創作団体を設立し、その一冊目が出る。詳細は上記のウェブカタログで確認を。

 上住はSF短編を書いた。少し前から考えていた、「恐竜好きなのに、恐竜出てくる小説書いていないな。書くか」と思っていたものを実行に移したかたちである。ブラッドベリが好きなもので、ちょっと古臭い感じのSF小説だが、是非手に取って、感想を送って、自作への燃料にして頂ければ幸いである。

最近の創作活動

 noteを毎日更新しているせいか、気がつけば2週間も更新が止まっていた。こちらは自分自身の創作を中心に書くこととしているため、頻度は下がりそうな気がしている。既に下がっているが。

 ただ、作品を何も書いていないというわけでもなく、過去作品のKindle化の作業を進めていたり、漫画の原作を書いていたりする。

 5月の文学フリマ東京用で出す新作も書き上がった。

 これまた今まで書いていないジャンルでSFになるが、今回は小説だから、前回のエッセイで二の足を踏んだ人は手に取って欲しい。書影等が決まったところでまた告知する。

 

 漫画の原作は縁がなければすぐやろうと思っていなかっただろう。

 将来的にやるつもりで考えていたものの、案として持っていたのは純文学のほうであった。こちらはシリーズがあって、それなりの量があるから、複数刊のもので考えていた。シナリオを書くのではなく、既にある小説からお任せで描いて頂こうかという、今思えば消極的な案だったかもしれない。

 それが偶然が重なって、今に至る。

 漫画の方はもう少ししたら宣伝と発表に移るので待って欲しい。そして、発表に至った暁には大いに私の尻を叩いて欲しい。皆さんからの声で今があるのは間違いないのだから。それが無いと動きが鈍い私である。

 今は描いて頂いたネームを見て、

「早く続きを読みたい」

 ぐらい言っている。

 続きは私が書かなければ出てこないのだが。

盟友たちを返してくれ

 趣味の話。

 昨日、信長の野望覇道の全体チャットにてタイトルのような発言がされた。私も同意である。

 3月の第2シーズン開始の混乱、運営の対応のひどさもあって続々と引退者を出した。ユーザーたちの声は聞こえていると思うが、運営からは全く反応も無く、対策を講じる様子も無い。

「現状を把握しています。皆さんにご不便おかけしますが、対策発表まで今暫くお待ちください」

 この一言が言える運営がどれだけ健全なのか思い知らされた次第だ。

 30日には生放送を行い、ユーザーからの質問に答えるということだが、答えやすい、気楽なものしか取り上げないだろう。

 前回の生放送では出演者が多くて始まるまでのグダグダであった。その上、出演している声優さんがバランスを取るなど、気の毒な場面もあった。今度は改善できているのだろうか。

 やるせないのは信長の野望が好きだからということもある。このゲームがあったおかげで日本史に興味を持ち、今では歴史小説まで書く身分になった。育てられたし、ずっと遊んできた。それがこの体たらくである。

 開発資金の回収はもちろん大切だ。

 月のコストがそれだけ高いのだろうか。

 長期的に見る余裕もないのだろうか。

 いずれにせよ、このままではサ終が思ったより早くくるだろう。

 今一度、顔を洗って改めることはできないのだろうか。

 盟友たちを返してくれ。

多作家になれるか

 もうすぐ独立して2か月経とうとしている。当初の目標である月に1冊の本を出せるようにはまだなっていない。一応、目標の設定は甘めにして自分の本だけでなく、依頼人のもOKにしているが、思ったよりスムーズにはいかないものである。その軌道に乗せるための案件数が少ないせいもあるだろうし、自分の作品制作も遅いこともあるだろう。

 実現していないアイデアはたくさんある。兼業中はそうでもなかった創作スパンが今となっては長すぎるのだろう。それに慣れているために脱却するのは難しい。基本中の基本だが、「まずは書き上げること」がいらぬことを考えすぎて実行できていないのだ。

 己の過去作品に支えられて切り拓いたこの道だが、これからの作品も生み出していかなければならない。売れっ子でもすぐ新鋭に取って代わられる時代。自分が多作品を生み出す方向にシフトチェンジできるか、日々の行動の見直しにかかっている。人間すぐには変われない。筋トレして少しずつ筋肉がついていくように、ゲームがやりたくなる衝動を抑えて、作家脳を大きくしていくしかない。手が止まっていては名作は生まれないし、私は一作が傑作になるほどの能力はないのだから。