大坂文庫

個人作家、上住断靱の活動記録

尼崎文学だらけ 報告

先週、日曜日に尼崎文学だらけに行ってきた。
今年は一階のホールで開催となったので、だらけブースも通常ブースも見渡せてイイ雰囲気の会場となっていた。
例によって用意をあまりしていなかったから、嫁に叱られていた。宣伝も準備もきちんとやろうと反省した。
ポップ効果もあってか、割合出会い頭に買う人がいて前回よりも売れ行きは好調。
欲しいと話をしに来てくれる人もいて、ありがたく思った。ジョヴァンニ君から献本を貰ったり、友人達が来て、久々の会話を楽しんだ。
一段落したところで、隣を見ると赤いおべべでカモフラージュした赤子がいた。
青砥十氏が息子、青もち君である。
青もち君は私が笑うと笑う可愛らしい子であり、父からの英才教育の成果もあって、きちんとチラシの向きまでこちらに合わせて渡せるベイビーである。
そんな彼が私にカルピスのペットボトルを頻りに渡してくる。
何度か受け取っては返してを繰り返していると、自分の水筒を持って「かんぱーい」ときた。思わず噴き出すと、父曰く乾杯が好きで同い年ぐらいの従兄弟と、ずっと乾杯をしているのだという。
お昼時に眠気を誘う曲が流れていて危うかったところを彼と遊ぶことで乗り越えた。
久々のイベントで気分も高揚し、色々頑張り直そうかと褌を締め直した日となった。

尼崎文学だらけ 頒布物告知

来週8月27日(日)

尼崎市中小企業センターにて

11:00~16:00に開催となる尼崎文学だらけに参加する。

 

去年の第一回に続いて二回目となる今回もだらけブースにいる。
露天商のような販売でさながら夏祭り、屋台の親爺のような感じだ。
今年も去年と同じく作務衣を着ていくと思う。たぶん。

今回、持ち込むのは歴史小説のみ。
純文学アンソロジーは在庫切れで断念。

 

尼崎文学だらけ

既刊のみ。

「忍嚆矢」
忍者歴史小説短編集。

 

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倭国合戦譚」
歴史小説アンソロジー。
戦をテーマに三人の作家が鎌倉時代までの戦を描く。

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星の輝きを手に

嫁の力を借りて、ようやくテーマ「悲憤」を書き上げた。

続くのは最後のテーマ「狂気」である。募集はまだしない。まずは悲憤を味わって欲しい。そして、「星の輝きを手に」を書き上げた時、足かけ六年かかった純文学の物語は終わりを告げるのだ。それは誠に寂しくもあり、一つの節目である。

物書きは懊悩を経て、その先に何を手に入れるのか、作家によってわからない。
懊悩を重ねた果てに、手にする「星の輝き」とは何か。
百年前から「オワコン」と言われていた純文学の答えを全人類が目撃する時がくる。

いくたまさん

織田作の実家近くに住んで七年経つというのに、今まで生玉祭に行ったことがなかった。大阪は谷町界隈に住む人間はこの日の為に普段使わない歩道橋を上り下りする。
今年は嫁を迎えたので連れ出し、祭りへと繰り出した。
祭りを楽しむ人を横目に織田作像は静かに佇む。
織田作の写真を撮っている私を横に孫を連れたおじいさんがベンチに腰をかけた。
「ここは写真を撮るところ?」
孫が問う。
「あぁ、そうや」
おじいさんは適当に答えた。
「なんで、写真撮らないの?」
「まず休憩や」
織田作の像は老人と幼女に目もくれず、私のカメラにも視線を向けることなく、祭りの騒ぎを聞きながら、静かに無頼派を今に伝えている。
余談ながら、この写真を撮る私にカメラを向ける嫁がおり、織田作に見られずとも私は十分なのであった。帰りにベビーカステラを50個買って今も食っている。

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早めの夏休み

今年は結婚休暇が夏休みと別に取れるということで、連休のない六月に早めの夏休みを取得した。
元いた谷町の家を片付けなければならないことと、仕事に厭気がさしていたこともあって、夏休みは忙しくもダラダラ過ごしている。ダラダラさせて頂いているというのもある。甲斐性のない私をひっぱたいて、田でも耕せと言わないでくれているのはありがたい。調子に乗るとそうなるかもしれないが。
この夏には、尼崎文学だらけをひかえ、文学フリマ大阪の準備を越えたら、テキレボ、文学フリマ福岡と遠征が待っている。
作品も書かなければならないが、本の制作費も稼がねばならぬ。
時間が出来たのだから、甲斐性だけはどうにかしたいと思う夏休み。来年の目標は「甲斐性なし」からの脱却になるだろうが、出来れば今年中になんとかしたい。

君はこれからだから

タイトルは会社でよく聞く言葉だ。
君はこの会社にずっといてキャリアを積み上げていくんだろうという無責任なおせっかいである。ここで今、定年まで勤めた、勤め上げるであろう自分の生き方を語るための枕言葉だ。
車のハンドルを握っていなければ眠りたい話であり、会社のハンドルを握っているならそいつを今日までクビにしなかった奴とそいつをクビにする話である。
何故、無責任にも万人の男がそうなると決めつけるのか。
それが真っ当な生き方と本当に言えるのか。
晩酌しながら自問自答すれば回答は「妻には愚痴がない」で全てわかる。
愛ではなく共有だ、と。

森井聖大改名す

どうでもいい話である。
むしろ愚痴である。

私が言う「文学フリマドンキホーテ」こと森井聖大が2017年を機に筆名を変えた。それが四月馬鹿かどうかはおいて、田舎に引っ込んでわかばばかり吸っていると人間、こうも耄碌するのかと呆れるばかりだ。
だが、彼は私を応援してくれている一人であり、一年に一回しか会わないのに飲みへ付き合ってくれる姿勢は好ましい。
何が言いたかったのか。
どうかこの記事を読んだ方は「森井聖大」をぐぐって新しい筆名をなんと読んだらいいのか、私の代わりに質問して頂きたいのだ。