翠嶺クラフティング

個人作家、上住断靱の活動記録

加湿器

ようやくエアコンを買い、冬の賞与で暖まる懐と引き替えにして、部屋が暖かくなった。妻が加湿器も欲しいというので、エアコンを買ったポイントで私と妻とそれぞれ買った。因みに賞与は予想より多く頂けたから予定より多く妻に渡した。
風邪が長引いて未だに咳き込む私に加湿器は強い味方となってくれるに違いないと期待するが、結果は思ったよりも残酷であった。
私の買ったほうが使い勝手良さそうに見えたのだが、水の補給が難しい。油断するとすぐにこぼれてびっちゃびちゃになる。床に置いているが、そういう所には向かないタイプらしい。反対に妻のハクション大魔王が出てきそうな形の加湿器は使い勝手が良さそうであった。
加湿器を高所に置くためにも模様替えは必要で、ついでにもう少し部屋をすごしやすくしたくなり、収納のアイテムも買って、四畳半改造を休日にしようと決め込む。ついでに作業場もちょっと片付ける。結婚前は坂口安吾のような部屋にいた私だが、その点ではマメになったのかもしれない。

季節外れの夕立に

最寄りのクリーニング屋が閉店した。チェーン店だが、某スーパーにくっついている系統で、そのスーパーが閉店する影響でこちらも閉まる。
困ったのは私だ。
クリーニング屋にワイシャツを持ち込んで、洗濯とアイロンの時間を金で買っているから、クリーニングを諦めると押し入れの奥へとやったアイロングッズを引っ張り出さなければならない。
幸い、引越先でも仕事では営業エリアであっただけに地理には明るい。
歩いて一番近そうなところにワイシャツを詰め詰め、持って行った。狭い店内だがやたらと混んでいる。店員は一人で金髪か、銀髪かあいのこのような髪色で眼鏡をかけている女だった。声を聞くと若い感じだが年齢不詳だった。ぱっと見無愛想に見えた。
初めて行くクリーニング屋が混んでいると気まずい。
会員カードを作る時間があるからだ。
必要事項を記入している間、店員はワイシャツを確認していた。
別に試すわけではないが、ドライクリーニングできないシャツが二枚混じっている。店員は見事に振り分けていた。傍目から見るよりもテキパキしていて愛想も良かった。明日、受け取れば四割引の券が貰えるという。さっさと大阪人を動かす上手いシステムを考えたものだと感心した。
新しい行きつけが潰れないことを祈り歩いていると、パラっときた。そのまま雨脚は強くなり、雷まで鳴り出した。折りたたみ傘は家に置いてきている。
底がツルツルになった革靴でマンホールを踏まないように気をつけながら、家へと駆けた。

岡崎に捧ぐ 感想

私が山本さほをフォローした時は何かのマンガで彼女のツイートがバズった時である。この人の描く漫画は面白いなぁと思ってフォローした。暇つぶしマンガは最近見ないけれど、楽しみにしていたものだ。
そこから、あれよあれよと漫画家になって、応援しようと思った身分としては誇らしい限りである。といっても、私にできたことはリツイートと本を買うこと、友人に薦めるぐらいのことであったが。あとはLINEスタンプを買うぐらい。本当に微力なこと。私に宝くじを当選させれば、世のクリエイターに全部捧ぐのに。
話が逸れた。
彼女の漫画は多々あれど、その中でも象徴的な「岡崎に捧ぐ」が完結した。
岡崎さんは彼女の親友たるフワフワした女性だが、漫画家山本さほが「漫画家」になるには不可欠な存在であった。
私も同年代ということもあって、話に出てくるゲームの回想も感慨深い。
その中を追っていくことで、周囲の人たちがいて、山本さほが出来上がっていく様子がよく分かる。それを涙無しに読むことはできない。「岡崎に捧ぐ」は勿論、岡崎さんのためのものだが、創作者にとっても元気づけられる物語だと思う。


第二十七回文学フリマ東京 報告

今回は22日から東京入り。
諸々のイベントに参加しながら25日をむかえた。
渋谷TSUTAYAポケモンぬいぐるみを買ったり、よみうりランドでオプチカルハットをゲットしたりと、中々に充実した三連休の最後は文学フリマでしめる。
最近は東京に出ても一カ所だけ寄ったり、前日に飲み会に行くだけである等、せっかく東京に出てきていることを活かしきれていなかった気がする。独身貴族だったからだ。ありがたみが薄かった。今回、妻から東京行っていいよと言われる立場になると、「いいよと言ってくれたのだから、楽しく過ごして帰らないと申し訳ないよなぁ」という気持ちになる。
さて、第二十七回文学フリマ東京当日。
7時半頃には会場前に着いた。ここで朝食を摂るためでもあり、電車を間違えた時のために早くでた結果でもあった。東京は未だに油断ならない。どうにかすると全く別の場所へ連れていかれてしまう。
設営ボランティアは予想以上に多くの人が集まり、余裕がある内に設営完了となった。
そこからは自分の戦場、今回は段々段ボールNEOとオプチカルハットをブースに備える。新刊はないが、新鮮な気持ちにはなれる。
知った顔も随分と減った。40%が初めましての文学フリマ、史上最大規模となったけれども、私は新刊がない分、楽しむ方を優先した。
懇親会にも参加し、飲み食いと喋るほうを優先して、あまり各テーブルには回らなかった。たまにはゆっくりして、明日へ向けて動くことも大事だ。
それでも、初めて本を出した方の話を聞いていると意欲がわいてくる。
いつもブログを読んで頂いている話や、新刊待ってますという言葉はやはり強力だ。きっちり予約していた新幹線に乗って、「明日からこうしよう。ああしよう」と考えつつ帰阪した。

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第二十七回文学フリマ東京 お品書き

大坂文庫は11月25日(日)11:00~17:00
東京流通センターで開催の第二十七回文学フリマ東京、A-22に出店する。
今回は純文学ジャンルで出店したが、残念ながら新刊は間に合わなかった。長編も編集者から返信が来ず、断念している。早くも春の東京に向けて考えなければならなくなった。
せっかくの純文学ジャンルなので、アンソロジーシリーズ最新の「おおきくなる」を増刷した。まだ手に入れていない方は在庫がある内に購入して欲しい。

c.bunfree.net

神経ツンツン

 急がば回れは正しいらしく、安易に歯医者を変えたおかげでまた歯医者を変えることになった。行った先が下手くそだったからである。
 つい数ヶ月前に治療した三本のうち、最初の一本が酷く痛んだ。
 その痛みたるや今まで経験したことがないもので、あまりの痛みに言葉が出ず、ぼろぼろと涙が出たほどである。因みにこの状態に職場でなった。直ぐさま、職場で新しい歯医者を紹介して貰い、駆け込んだ。
 そこで「神経が生きているか死んでいるか分からないので、麻酔なしでゆっくり削って、神経を確認しますね」と身震いするような言葉を受ける。あのドリルがちょっとでも生きている神経に触れたら、とんでもない痛みが走るにちがいない。しかも今回は初めての歯科医だ。腕に自信はあるだろうが、こっちに確信はない。
 私は目をぎゅっと瞑り、しかし、体に力が入りすぎないように手は開いたままで、削り終えるのを待った。
 結果として、手前の神経は死んでいた。が、奥は生きていて、歯科医が確認のためにツンツンする度に呻かなければならなかった。
 なぜか「おでんツンツン」動画を思い出していた。
 現実逃避ともいえよう。「おでんツンツーン」ならぬ「神経ツンツーン」と頭で思っていると、この状況が少しでも愉快に思えた。
 さて、この歯医者は混んでいて次の予約が中々取れない。そうこうしている内に二本目の歯にも違和感が出てきた。またも麻酔なし治療を受けるのかと思うと、最初から近場を選ばずイイ歯医者にしておけばよかったと嘆息している今である。

第四回文学フリマ福岡 報告

福岡へと向かう車中で下書きを書いている。
謂わばビールのツマミ変わりにしている。職場の数人には九州へ行くと言って、妻にも許しを得た。祖母のところにも行くからだ。
今朝、旦那を見送る老婆を見た。
旦那は振り返らずにずんずん進んでいくが、彼女は彼が曲がり角に消えるまでずっと見送っていた。いい光景だなと朝から気持ちよくなったものである。
さて、私はどうであったか。マンションのエントランスまで妻に見送って貰った。これだけでも充分だ。今朝のことが思い出されて振り返った。妻はまだエントランスの前に立っていた。
曲がり角で振り返ると、手を振ったので、こちらも振り返した。あの夫婦に負けていないなと笑みがこぼれた。
そして、新幹線。思いの外、スーツ姿の男が多い。心なしか動きが硬い。誰も酒を飲みはしない。まだ気が緩んでいないのだ。これはいけない。せっかくの一人旅が堅苦しくなってしまう。新神戸駅を出ると、私は景気よく缶を開けた。すると、あちこちで音が響いた。それで車内の空気は弛緩した。鳥が飛び立つ時の最初の一羽だ。私は最初の一羽になれたのである。
一本飲んだところで足の裏が痒くなった。疲れている時にビールを飲むと現れる症状だ。
ハスキー声の車内販売から買うことを諦め、寝た。勢いあまって博多まで行かないように自分に言い聞かせて。
祖母の家は北九州で小倉で降車だ。文フリ福岡の会場は博多だ。疲れている時はこんな明らかな違いも間違う。何度も小倉で降りるシュミレーションをした。結果、関門海峡のトンネルでいつものように目が覚めて降りられた。九州は大阪ほどのひんやりで、思ったほどの寒さではなかった。随分久しぶりだ。月曜日に有給を取らなかったことを後悔した。
祖母の家では至れり尽くせりで、何だか申し訳なく思った。いつもそうなのだが、今回は特に強く思った。
祖母に「忍嚆矢」と「忍地謡」を渡す。初めて筆名の呼び方を聞かれた。「うわずみだんじん。上本町に住んでいる靱帯を断裂した人って意味やで」というと黙って頷いていた。
翌日の土曜日は祖母とゆっくり過ごした。買い物にも行き、お茶も飲んだ。いつも行く福岡事務局の前日作業には参加しなかった。皆の顔も見たかったが、私の生家と祖母との時間を優先させて貰った。この日は北風が強く、高圧線が線をぶつけあっていた。その音が「B29が来たときのようだ」と祖母は言う。私は黙って頷き、その音に聞き入った。
電子書籍でシベリア抑留の話を書いたと聞いた祖母は自身の戦争体験を語った。
大変であっただろうが、笑い話が多く混じっていて家風を感じる。父方のほうはそうでもなかった。
翌、日曜日は第四回文学フリマ福岡。
今回は抽選も出たので次回は会場が変わるであろうから、最後の天神ビルである。
入場までに11階まで上がるという手間があるにも関わらず多くの人が参加した。そして、大坂文庫にも「これメインできました」という方まで来た。そういった声があるとついつい嬉しくて、頑張り過ぎてしまった。帰りの新幹線ではずっと寝ていたほどだ。
プラリと江戸時代のカメラで撮影する人までやってきて、私のブース周りは退屈しなかった。
段々段ボールがくたびれかけていたところ、懇親会で段々段ボールNEOの存在を知る。東京参加では新規購入する、かもしれない。
www.shimaya.net

今回初参加の人も多く懇親会に参加しており、中にはレア古参の方もいた。
ピッチャーを二杯ほど空けた気がするが、するだけで気のせいだろう。ともあれ、今年は無事に帰阪した。
次回は会場も変わってルイヴィトンの横から入る。
来年はもっとのんびりできるように有給を勝ち取ろうと心に誓った。