既に世間で話題になっている通り、一人の政治家が凶弾に倒れた。
それが誰であれ、あってはいけないことである。どの政治主張もその暴力の危険に晒されることになるからだ。蛮行者に同調しては、自分も同じ目に遭っていいと言っているようなものである。
私ならば、前段階となった判決を下した裁判長の立場であったなら職を辞すほどのことだ。当人にそれほどの覚悟があったと言われたら、なかったと思うが。
勤め先で糞味噌な状態になっている時に第一報を聞いて、心底、悲しくなった。
件の政治家を支持してはいなかったが、起きてはならないことの上に、選挙そのものも破壊されてしまった。
思い浮かぶことは多々あって書き切れないが、無責任な人たちがこれまで垂れ流してきたことについても考察するとともに、今一度、自分たちが歴史の上に生きていることを理解する時でもあると思う。
世の中が混沌とし始める時、救いの手は現れるものだ。
それが今ある政党とは限らない。
希望を持って、自己研鑽することは、彼の死を無駄にしないためにも大事ではなかろうか。勿論、彼に追従する知識・技能でなくていい。蛮行を決して許さぬことは「議論を尽くす」という人類に可能な武器である。