翠嶺クラフティング

個人作家、上住断靱の活動記録

「何でできないんだ?」という問い

 先週から勤め先では散々で、無茶をやらされるわ、失礼を言われまくるわの踏んだり蹴ったりであった。もちろん、ただで転んで泣き寝入りはしないので、このことは腹に抱えたまま、いつかはきっちり返す。しかし、声を荒げたのはよくなかった。古御門のノリでいくべきであった。我よ、常に冷静であれ。
 その騒動の中で思ったのは「何でできないんだ?」という問いである。
 自分でも自省した時によく使う。人に使われると腹が立つ言葉だ。
 思えば転勤した際にいたボスとは上手くいっていた。そのことを思い出してみると、少し無理があるような仕事があった時、「どうやったらできる?」って聞かれていた。
 何か障害があれば取り除くなり、その無理自体を諦めるなり相談出来ていたのである。相手を見ていて、理解しようという姿勢がなければ出てこない言葉だ。文学フリマでもそうだ。出来ないことがあった時、「こうなったらやりましょう」という流れになる。
「何でできないんだ?」は相手をそもそも見ておらず、理解しようともしていないのである。
 自分に置き換えると、自分自身を見て、理解しようとしていないことになる。
「何でできなかった?」は結果であるから仕方がないとして、これからやろうとする無理に「何でできないんだ?」という問いは愚問なんだなと反面教師として吸収していく。