翠嶺クラフティング

個人作家、上住断靱の活動記録

知るほど書きにくくなっていく

 歴史小説は史実を描いたものではないから云々議論が少し前にネットであった。その通りだ。しかし、司馬史観が示す、創作物だからと史実と切り離すことができる人が全てではない。私の両親もそうである。その折にみた歴史小説大河ドラマが、描かれた人物や事件のイメージとして固まっている。歴史を扱うのは中々に業が深いことなのかもしれない。
 私の主ジャンルも歴史小説だが、最初はありのままと資料には残らないバトル描写を好きに書いていた。しかし、資料からそのままでは、面白くならない。小説である以上、面白くなければならない。書いている最中に「ここまで書くと分かりにくくなるし、冗長だからこうまとめるか」と描かなかったことも多々ある。
 今までは資料の少ない忍者モノが多かったから、そこまで気にせずに書けた。
 今回、長編で天正壬午の乱を扱うにあたり、事態の複雑さや、大小の戦、人物関係など多く描かなかったところがある。資料が出るということは、その元になる遺物があることの幸運と研究努力の成果で良いことであり、私も興奮している。ただ、そういった書籍を読む人は小説を読まないかもしれないし、小説を読む人はそうした書籍を読まないかもしれない。
 ぐだぐだ考えても無駄で書いて書き上げろという話だが、どうしても頭を過って、筆が止まることがちょくちょくある。