翠嶺クラフティング

個人作家、上住断靱の活動記録

第三十二回文学フリマ東京報告

 上住は揺れていた。
 第三十二回文学フリマ東京に参加するかどうかである。
 ご時世のこともあるが、あろうことかFF14デジタルファンフェスと被ってしまったのだ。件の理由により出店を辞退して、光の戦士たちと祭りを楽しむことにかなり気持ちが偏っていた。部屋でゴロゴロしながら、うまぴょいして休日を謳歌しようと……。
 これは自暴自棄になっているだけだ。
 FF14ファンフェスは上住がいなくとも、リアルタイムで皆が報告してくれる。その雰囲気は間接的にも味わえるはずだ。
 ところが、文学フリマはどうだ?
 今回、出店しなければ大坂文庫はそのまま終了。イベント感も鈍るついでに出不精も加速してしまうかもしれない。出続けることの難しさは常々話しているではないか。出店すれば本が売れなくとも、数字のままゼロになることはない。
「行かない」
 と直前まで行っていたのを撤回して上京した。
 当日の集合時間を聞いて、若干後悔したものの、結果として「行ってよかった文学フリマ」となった。
 前日譚はまた記すことにして、今回は当日のみ。毎度のように準備から参加してきた。
 いつもは寝坊する人がキッチリ来ていて見事に雨を降らせる。
 黄色い三角コーンといちゃいちゃしている間に、机椅子を並べるお時間となり、汗だくになりながら諸々終えると、出店受付で他人様の額に機械を向けては検温をしていた。
 それから解放されて自身のブースで荷をほどくと、一つ在庫がないことに気がつく。確認を怠って前回参加の荷物をそのまま送った結果である。予想以上に過去の自分は頑張っていたようだ。幸い、委託販売を請け負っていたため、ブースに彩りはある。新しい布もデビューして半年ぶりにイベント参加した。
 文フリ仲間が軒並みお誕生日席にいたため、挨拶もしやすく雑談もできた。意外に私のブログを読んでくれている人が多くて、ちょっと驚いたりもした。
 最近は用事がない限り自身のブースから動かないマンとなっていたけれど、久しぶりに本を買いに走った。
 頂いたものもある。

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 読み終わったら、これまた最近やっていない感想文書きたいな……と思いつつ、まずは読むところから。
 撤収作業はほぼ机を積み上げたり下ろしたりしていた。汗だくになってもマスクを外せない苦痛。17という数字は忌むべきものとなった。
 こうして大坂文庫としての最後のイベント参加は終わった。
 懇親会も当然ながら中止。
 仕方ないが、その場で解散となる味気ない終わりとなった。なんだかんだで三年ぶりの文フリ参加となる秋山さんに会えたことが一番の収穫だったかもしれない。いや、活動を続けている皆に会えたこともよかった。知り合ってからもう、十年近い。
 翌日に有休を取らなかった私はそのまま帰路へ。新幹線の駅で数人に見送られながら、帰阪する。
 寝酒にTwitterのスペースを聞きながら、二つ反省した。
 翌日は有休を取ることと、何があろうとも新刊だけは用意しておくことだ。

5/16(日)第三十二回文学フリマ東京に参加のお知らせ

 きたる5/16(日)東京流通センターで開催となる第三十二回文学フリマ東京に参加する。【クー4】にいるので、参加可能な方は短時間でも上住に会いに来て欲しい。
 また、諸事情により、大坂文庫として参加するのは今回が最後となる。次回からは別名義で参加予定だ。ロゴマークは変わらず、あれが目印のまま次のステージに行く。

 さて、大坂文庫最後の活動は既刊のみ。

忍者歴史小説短編集
「忍嚆矢」

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天正伊賀の乱で武士に成り上がったとされる
主人公が活躍する忍者長編小説
「尾生の信」

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bunfree.net
Webカタログもあるので、是非「気になる!」のご利用を。

今回は委託を請け負って文藝同人無刀会の作品も頒布する。
下記2冊は上住断靱の解説つき!

 

 

 

 

ゴールデンウィーク最終日

 ゴールデンウィーク最終日。初日から振り返れば、ガッツリいくまで執筆や作業をやらなかった。個人的には「ちょっと進んだ」ぐらいである。
 人間休みがあるとダラダラしがちであるのと、コロナのせいで不確定なものがあると削がれるものがある。まだ在宅勤務もあるから家で作業をする時間はある。早く作るものは作ってしまって、次に進めていかなければならない。制度とスピードが必要なだけに難しい。焦っても碌なことにはならないから、地に足をつけて動くことも大切だ。ただ課題があることはいい。立ち止まらずに進めば先が見えてくることを示している。
 今年は文学フリマゴールデンウィークを外したこともあって、長い時間を家で過ごすことができた。例年通りなら東京で色々と冒険してくるところだが、落ち着く意味でも良かったように思う。
 それにしても何をするにもお金はかかる。家庭があるとあまり散財もできないかなと考えたり。二の足を踏んでいる場合ではないのだけれども。
 趣味のほうでは新しい友人も増え、比較的充実したゴールデンウィークだった。
 最も残念だったのはウマ娘でランクAの子をもう一人育成できなかったことだ。

大坂文庫の終わり

 気がつけば前の更新から二週間経ってしまった。
 勤め先の大騒ぎでヘトヘトになったり、話題には困らなかったが、書こうとしていなかった。勤め先の愚痴は、ipadが復活したので漫画にしようと思う。随分久しぶりとなる漫画描きだが。


 それよりも一つ大きなことを決定した。個人事業としての大坂文庫が終わる。それに伴い、五月の文フリ東京開催が大坂文庫名義で最後の参加となる。世情も原稿も厳しい状況だが、新刊を無事に出そうとしている。新刊はひょっとすると、奥付が新しい名義になっているかもしれない。

 法人化することにしたのは、昨年より開始したとあるプロジェクトが進行するにつれ、その優位性が高まってきたことにある。サービスの種類も増える。ついでに検索問題もあったことから、「大坂文庫」を使わないことにした。起業塾時代から10年。思い入れがないわけではないが、一つの区切りとしたい。新社名はここ二週間ほど悩み続けている。
 因みにロゴマークは変えないため、法人化後もあれを目印にご贔屓願いたい。
 

慰めのアイテム

 年度が変わる際に出勤簿をコピーして持って帰ってきた。恐るべきことに勤め先の出勤簿は手書きだ。だが、手書きだからこそ色々残せるものがある。
 指示があって早く出てきたのに時間外手当が出ていない日、元々はグレーであったものが完全に黒となった言質を取った日、それぞれに印がつけてある。
 前任の上司がいなくなって以降、半年を待たずして会社の労務状況は元のブラックに戻りつつあった。合理的でないことが通る。論も理もないことを押し通す。我が儘おじさんのワンダーランドであった。何かあればそれを放り込まれる私と同僚A。同僚Aは昨日半泣きになっていた。あれほど真面目に仕事をしていたのに、「もうええわ」ということも増えている。
 私は「はいはい」と受け流している。
 この出勤簿コピーが手元にあるからだ。もちろん、それだけでは意味がないけれど。来るべき日のために今は反骨心を抑え、都合の良い人間を演じるしかない。煮えくり返っても我慢だ。最後の最後で敵にしょんべんをちびらせろと堪えている。
 しかし、流石に物理的に無理という話をしているのに、「そんなもんは自己都合、これも仕事」といって押しつけるのには笑った。自己都合と言われているものも、仕事であって、自分から生み出したものじゃない。それを実行したければ、全員に仕事を割り振りし直さないと無理だよと。
 割り振っても、割り振られた人がきちんとできなくて結局戻ってくるんだが。そのスキルもどうなのと思うが、どうしようもない。出勤簿コピーはそんな私を慰め、強くしてくれるのである。

ある決着

 新入社員として今の勤め先にきた年の6月。
 私は雨の降る中、歩道の水たまりを溝に流すという作業をひたすらやっていた。今となっては滑らない話だが、当時は驚愕したものである。今とは違い、曇り無き眼で「新社会人として頑張るぞ!」していた純情青年であった。
 平目野郎を極めると、地獄の鬼でも思いつかないことを当然の如く命じることができるのだ。
 平目曰く「水たまりがあるとお客様の足が濡れるから」だそうだ。
「既に雨で濡れとるやろがい」
 というツッコミは通じない。
 10年以上前から変わらない小さな北●●。
 道行く人やお客さんに、「雨降っているから意味ないよ」と親切に言われる始末。
(わかっとるがな……)
 苦笑しながら水たまりをはいた。
 当時の平目は絶好調で「将来の役員候補」とまで言われていたのである。
 その彼は昨日、島流しとなった。
 正直に言おう。
 滅茶苦茶スカッとした!!!
 10年以上彼は学び、成長せず、転勤先でもパワハラを続けていたのだ。そして、遂に「こいつは駄目だ」と引導が渡された。
 掃き溜め所属となった彼の扱いは、役員候補といわれていた時より遙かに劣る。長年いじめてきた人間にも仕返しされるだろう。私も平目について少し聞かれた時に「10年以上前からそうでした。もう治らないでしょう」と答えた。
 会社を辞めようとしながら、未だにいる状態だが、この光景を見られたことはちょっと良かった。私の中で一つの区切りとなった出来事だった。

純粋さ

 純粋に物事を信じると食い物にされてしまう世の中だ。
 私もかつては純粋であったが、なんだかんだで失った気がする。今となっては偏屈に行動する素っ裸おじさんだ。
 話が逸れた。
 とにかく純粋で真っ直ぐに物事を信じて実行できるのは、上達への近道でもあり、人から愛されやすくもある。師事する人間はよくよく考えて選ばなければならない。それは、一人である必要はない。様々な道があり、それぞれに師匠がいていいのである。
「あ、この人が言っていることで目が覚めた」
「この人に一生ついていきます」
 あまり抱かないほうがいい発想だ。
 目が覚めたのは気のせいで、元々自分が考えていたことを明確に言っているだけかもしれない。
 一生引っ張るなんて相手は一言も言っていない。
 とある歌詞にあるじゃないか。

「お仕事でやってるだけかもよ?」
 特にSNSを全部止めさせ、外界との接触を断たせるものは危ういと思っている。確かに、行動に集中できるかもしれない。だが、「何一つ続かない」と言っていた人がまた色々中断したら元の木阿弥ではないだろうか。
 SNSで頑張っていることや、日々の悩みや不安を発信することは承認欲求や自己顕示欲云々とマイナスに見られがちだが、応援してくれる人も増えるというメリットもある。不安を煽るばかりのメディアや心なき者に流されるだけではないけない。
 とあるオンラインサロンの一件を見ながら、最近、音沙汰のない友人を心配したり。原稿書いたり、ウマ娘をやっている。