大坂文庫

個人作家、上住断靱の活動記録

書き初め

新年あけましておめでとうございます。

旧年中はたいへんお世話になりました。

今年もよろしくお願い致します。

さて、今日は書き初めと称して簡単な小説を書きました。正月に似つかわしくない暗い内容となっておりますが、アップ致します。

忍者ものではなく、シベリア抑留についての掌編です。

 

タイトル「どて焼き」

 

 この暖かさが帰って来たという事を教えてくれる。
 揺れる汽車の振動が心地よく揺り籠のように感じられた。少なくとも一週間ほど前まで居た地獄に比べれば大した天国であった。
「銀さ、もう少しで大阪やなぁ」
 目の前で膝を抱えていた。小林が顔を上げる。
 長い長い強制労働のお陰ですっかり頬がこけ、目がくぼんでしまっている。
「そうさ、夢のようやで。夢じゃなかろうかと頬を何度叩いたか」
 銀さ、と呼ばれた脇坂はからからと笑った。名は銀治郎だが、そうやって親しまれていた。帝国陸軍の時も、シベリアへ抑留さ
れた時も。
 日本の敗戦が決定し、ソ連に捉えられていた日本兵は日本への帰国叶わず、そのまま強制労働をさせられた。
 その過酷な環境で多くの日本人が無念の最期を遂げた。
 小林と脇坂は抑留された仲間である。
 脇坂が先におり小林は後から連れて来られた。
「あぁ、寒い寒い。足もぐずぐずや……ちょっと失礼」
「待て」
 休憩室にやって来て、直ぐさまブーツを脱ごうとした小林を止めたのが脇坂だった。
「なんでや。なんでお前に靴脱いでええかどうか許可得なあかんねん」
「ああ、すまん。危ないから止めたんや。あ、君も大阪か」
 けんかっ早い小林は歓迎の挨拶かとばかりに立ち上がったが、脇坂の穏やかな声に制されて拍子抜けする。
「危ない……とはなんや」
「ブーツな、ぐしょぐしょになって気持ち悪いんは分かるけど、脱がんほうがええ。すぐに凍傷になってあかんようになる」
 と、脇坂が顎で指した方向を見れば、なるほど凍傷で苦しむ男が数人唸っている。中には感覚までなくなってしまったのか、た
だぼんやりとしているだけの者もいる。
「言うこと聞かんと脱いだ奴や、注意してくれる者がおらんかった奴らや」
 小林の喉は鳴った。
 ここで聞く忠告は素直に飲み込むべきだと。聞かねば死に繋がる。死と隣り合わせの劣悪な環境であった。
 風呂の時も酷い。
 風呂桶に一杯の水で体から髪の毛から全て洗わなければならない。しかも毎日ではないから、貴重な時間であった。
「こうするんや」
 脇坂がゆっくりと手本を見せてくれ、小林は必死で覚えた。
 よく分からないロシア人から共産主義の教育も徹底的に施された。
 そうこうしている内に、汽車へ乗れと命令が下った。
 全員が歓声を上げた。
「日本へ帰れる」と。
 汽車に乗る人々の足取りは軽かった。
 日本に帰ったらどうするのかと、あれこれ話し合っている。
 全て乗せ終わると汽車は警笛を鳴らし、ゆっくりと西へと進み始めた。途端に、動揺の声が広がる。日本とは逆の方向へ進んでいる。まだ帰国出来ないのだ。そう理解した時、ほとんどの者が絶望した。酷い者はその場で発狂し、あちこちに頭を打ち付けて死んだ。誰もそれを 止めたりはしなかった。
「銀さ、銀さ」
「なんや……」
 小林の目は光っている。
「俺には夢がある」
「はっ……」
「大阪に帰って、どて焼きを腹一杯食うことや。それまで死なん」
「なんやそれ。でも、おもろいな。なら、俺はお前が腹一杯どて焼き食うとこ眺めとくわ」
「こんな目に合わせた共産主義を俺は死ぬまで憎む」
「滅多な事言うもんやないで」
「せやな、それはどうでも良い事や。それよりも銀さ、約束や。夢叶えるまで死なへん」
「おう」
 懊悩する車内で二人は拳を重ねた。脇坂はこの時の事を生涯忘れまいと思った。

 

 あれからどれだけ経ったのか。もう少しで大阪に着く。
「あぁ、やっとや」
 小林は足をバタバタさせて喜んだ。
 駅を降りれば、懐かしいあの香りがぷうんと漂ってくる。
 遠慮なく小林の胃袋を叩いた。
「あぁあぁ、どて焼きや。どて焼きが売っておる。俺ァもう我慢出来ん。銀さ、ちょっと食っててええか?」
 脇坂は、ははと甲高く笑って十分食え、俺が両親呼んで来たるさかいと快諾した。
「おう、すまんな。お先」
 と小林は元気よくどて焼き屋ののれんを潜った。
「どて焼きを三つ」
 景気よく言うと、女将さんが目を丸くし、
「あんた、そんなに食べるんか」
 と呆れた。
「シベリアから帰って来たんや。これだけを食うために頑張ったんや」
 と聞けば瞳を潤ませて、
「そうかそうか、それはたんと食べなはれ。まけたるさかいに」
「それはおおきに」
 掻き込むと咳き込んだが、旨さがじんわりと広がって身に染みる。
 続けて食べていると、すっと五つ六つのにぎり飯が出た。
「これはおばちゃんからの差入や。よう、大阪に戻ってきた。思う存分食いなはれ」
 小林は無言で手を合わせるとにぎり飯に手を伸ばした。
「あぁ、あなたが銀さはんでっか」
 小林の両親が慇懃に挨拶する。脇坂も深々とおじぎをした。
「すぐそこに居てます。何でもどて焼きが食べたかったとかで、すぐに駆け込んで行きましたわ」
「まあ、あの子ったら……遠いとこ行っても変わりませんなぁ」 
 三人は声を立てて笑った。
「では、呼んで来ますさかい……」
 両親を待たせてどて焼き屋に近づくと何やら騒ぎが起きていた。
 嫌な予感がする。
 脇坂は野次馬を押しのけ、どて焼き屋に飛び込んだ。
「小林……」
 外には小林の両親が待たせてある。あと寸刻もせずに会えたはずだった。急に腹へモノを詰め込み、詰め込みすぎて小林の体は停止した。
「あぁ、食べさせすぎてしまったよ……」
 女将さんが嘆いている。
「夢叶ったなぁ」
 人々を余所に小林の骸は満面の笑みを浮かべていた。