翠嶺クラフティング

個人作家、上住断靱の活動記録

見上げた男~序~

第十九回文学フリマにて頒布予定

「見上げた男」

テーマ「虚勢」のアンソロジーに掲載予定のオープニング小説。

「見上げた男序」

 今でも「ゲジゲジ」といじられる太い眉を掻きながら憤慨する。
 何故彼らは阿呆なのか。
 何故、あの阿呆共は生き続けるのに俺の父は死ななければならないのか。これほどの立派な人生を生きて、大人物たる俺ほど息子を持ったのに、今、病院の安いベッドの上で息をするのも辛そうである。
 作家を自称する輩のほとんどが偽物で、世の本物たる作家の足を引っ張っている。「彼ら」は邪魔者なのだ。本物と偽物の線引きは俺が決めるから問題ない。
 黒崎は本気でそう思った。
 俺は天才であると確信している。
 そして、その通り周囲の人間も「お前は天才だ」と断言した。問題は、小説家である彼の作品が誰の目にも触れていない事だ。書きさえすれば、それが傑作になる事は間違いない。
「龍坊……」
 父は黒崎をあだ名で呼んだ。
 芥川龍之介のような作家になると見込んでのあだ名だ。本名は康二。
「親父、どうした親父!?俺はここにいるぞ」
 黒崎は枕元で叫んだ。
 父は耳が遠いわけではない。叫ばすとも聞こえるはずだが、今、正に黒崎の手の届かない遠い所へ向かっているという感覚があった。
「龍坊……お前は天才だ」
 うんうん、と頷きながら黒崎は父の手を握る。父はその手を握り返す力もないらしい。カリカリになった手はぴくりとも動かなかった。
「だから、分かるな?……立派な作家になれよ。本物の……芸術家に」
 そう言い残して父は呆気なく死んだ。
 通夜も葬儀も親族内でしめやかに行われ、特筆する事もない。黒崎はあまりの無常に打ち震えた。あれほど偉大であった父は九九の暗算で済むような瞳にしか見送って貰えなかったのである。
 さぞや無念であったろうと思った黒崎は作品を書くべく、パソコンと向き合った。父にも認められた天才であるから、既に傑作は頭の中に描かれている。後は指を動かすのみだ。
「気高く生きている者たちに私の言葉が届きますように」
 黒崎の心は蕩けた。
 作品を書いている合間合間にツイッターを覗くのだが、女流作家、福田尚美が紡ぐ言葉は美しい。いや、美しいと他の者が分からなくとも黒崎には分かるのである。
 その言葉を胆嚢まで飲み込めば自然と執筆に力が入った。
「この作品が完成すれば彼女の横に並ぶ」
 というゴールが見えてくる。
 ところが、ゴールは見えていても行き詰まるのが創作活動だ。ご多分に漏れず黒崎も行き詰まる。彼は他の創作家とは行き詰まりに対する対応が異なった。それは天才故の懊悩。
「俺の作品はこんなはずではない」
 と藻掻き苦しんだ。
 彼が逃げ込むのはツイッターである。最早誰も読んでおらず、尊敬する作家、坂口音大しかフォロワーがいない。
「俺は、俺は本物の芸術家たるが何であるか分かっているのだ!本当の文学とは何であるか分かっているのだ!」
 力の限り叫んだ。
 乾きのあまりコンビニで買った安ウィスキーに手が伸びる。
 血の巡りが早くなり、黒崎の脳は活発化してきた。あらゆる言葉がなめらかに出てくる。充血した目にツイッター上で作品を褒め合う同人作家の姿が入る。
 何だこれは!
 文学は遊びじゃないぞ!
 黒崎の脳は頭蓋を思い切り叩いた。その響きは怒りとなって黒崎を狂わせる。煩悶は酒が入っているだけに異常に心を掻き毟った。そこで目に入るは、山本清風の
「私の小説、美少女が書いていたら もう三回は芥川賞とっている。」
 という取り止めのない冗談であった。
「なんだこれは!」
 狂った黒崎はあらん限り叫んだ。隣人に壁を殴られたが、気にしない。山本清風のツイートは引っかかれてボロボロだった黒崎の心に穴を空けた。クリティカルヒット。そこからあらん限りの不満があふれ出る。「私の小説」とは何だ。それほど高尚なものなのか。
 持ち前の語彙力を全て使って黒崎は山本清風を攻撃した。
 彼は無頼派作家の何も分かっちゃいない。織田作や太宰の言葉を求めて検索をかけるとまたもや他の同人作家、上住断靱が引っ掛かる。
「愚か者め!織田作をタゴサクか何かと間違えているんじゃないか!」
 黒崎は勢い彼にも攻撃を仕掛けた。彼は書いているという自覚がない。ましてや見られていると思っていないのだ!本物である俺に!
 一通り怒りをはき出すと心の穴は塞がり同時に使命感がわき上がる。
「邪心ばかりの同人作家め。何が本物か教えたやる」
 さっきまで書いていた原稿を削除し、黒崎はいつもはロックの安ウィスキーを生のまま飲みながら一晩書いた。
「邪魔なものは去れ」
 書きながら黒崎は念仏のように呟く。彼の創作エネルギーは怒りから湧いてくる。
「金にならぬ文学はいけない。文学は遊びではない。文学は怖いぞ。金目的の文学はいらぬ」
 酒の力で黒崎は揚々と墜ちていく。
「文学だけしかない生き方はいかぬ。自尊心しか求めていないものはいかぬ……」
 怒りの裏側は我慢の裏側。
 黒崎は己を吐きだした文学を遂に完成させた。
 しかし––。
 酔いが醒めた頭で書き上がった作品を読み返すと、太宰や織田に遠く及ばない。またもや天才である自分の作品ではなかった。
 動揺しながらツイッターを開くと例によって先の同人作家たちが言葉で遊んでいる。
「まだ懲りぬか」
 黒崎は書き上がった原稿をゴミ箱へ放り込んだ。