翠嶺クラフティング

個人作家、上住断靱の活動記録

総括2018

 今年も終わりということで元旦のブログを読み返す。
割とシンプルに書くことも読むことも増やしていこうというざっくりとした目標であった。記事もとても短く、この時の気持ちを覚えていないが、やや弱っていたのかと思ったほどである。
結果として12月からブログのルーチン更新を始めたことから書くことも増えた。Kindle本も久々に一冊出せた。他の新刊が出せなかったことは心残りだが、来年は更に加速させていこうと思う。
読むことも増えた。Kindleの読み放題、青空文庫を中心に普通に買うことも増えた。やや財布を圧迫しがちなので、これからは図書館も活用しなければならない。
災害に振り回され、滅多にできない経験を多くのところで経験しつつ、家も広いところに引越した。九月から十一月はよく分からない停滞期となった。そこでひいた風邪も未だに咳だけ残っている。
後は筋トレも復活した。少しずつでも自分を改善することができた年だと思う。総合的に、活動量が増えた。
あとは今年中に出来なかったいくつかの大きなことを来年には達成しなければならない。
大坂文庫もある程度形がみえてきた。まだまだ努力が必要だが、一人から人数が増えたことで可能性が広がった。解決しなければならない問題は早々に対処していこうと思っている。
総じて飛躍の年ではなかったものの、助走というか弾みをつける年であったと思う。

メリークリスマス

実家ではクリスマスは割としっかりやった。
面倒くさがりの父もクリスマスツリーだけは毎年用意し、大掃除もして、すっきりした部屋でパーティーをした。父はワイン、私たちにはシャンメリーが出た。父は食後に、その当時は自慢だったオーディオでクリスマスソングを流した。
楽しい上にとても穏やかな気分だった記憶がある。
実家がクリスチャンというわけではない。二年半ほどアメリカで暮らしたことの影響が出ていたのだろう。私は一時アメリカにいた。といっても、幼稚園に半年ほど通ったぐらいで、ヒアリングはなぜかできるが、返答できないという英語力だ。因みに弟はアメリカ生まれだが英語はてんでダメだ。
アメリカではクリスマス休暇で色々やる余裕があったのだ。帰国後はそうではなかったはずだが、「これだけはやらねばならない」という無意識があったのかもしれない。
年々いい加減になっていったが、クリスマスだけは何かやる風習がある。
所帯を持った私はどうかというと、色々やらなければと思うのだが、そこまでは求められていないらしい。ところが、刷り込みの恐ろしさで「あれをやらなかった。これをやらなかった」と自責の念に囚われる。
しかし、あまりクリスマスで考え込んでもいけない。
楽しむことが一番大事だ。私はワイン系統は翌日に持ち越してしまう体質だから、今日は普段通り麦酒で、一つおまけに酎ハイを買ってきた。
あれこれ課題も残っているが、取り敢えずは置いておき。
メリークリスマス。

大坂文庫BOOTHオープン

実はこっそりヤフーショップを開いて挫折していた。
クローズにしていたつもりがオープンになっており、その間に注文が入って気がつかなかったのだ。問い合わせがあり、ショップは強制閉店となった。ヤフーショップは双方から連絡がいかないと復帰ができないらしい。
気が滅入った私は金をかけたショップをそのまま破棄した。
その後、通販の需要もそれほどないだろうとは思ったものの、私が参加するイベントに行けない人も多くいる。独身貴族より没落したために、活動資金にも困ってきたところで今回のBOOTH出店に踏み切った。
色々準備しての開店なので、少しほっとした次第である。

osakabunko.booth.pm

読者が少しでも増えればと思う。

「楽園」感想

「楽園」犬尾春陽著
ジャンル:小説
第六回文学フリマ大阪にて購入
価格500円

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前回に引き続き表紙はシンプルだ。こういった感じの表紙が好きか?と言われたら違うと答える。たまたま重なっただけのこともあるし、絵が描ける人を仲間に持っているなど、書き手の条件によっても変わる。ただ敢えてこの形態を採用しているならば、書き手には相当の自信があるといえる。犬尾春陽にはそう思わせる力がある。
初めて書き、初めて文学賞の一次選考を通過した時の作品らしく、最新のものではないが、頷けるほど読み応えがあった。
彼女曰く「大切なものが詰まっている」というこの小説は一言で言えば「女の子の本」だ。私が感情移入しにくいところもあった。それはつまらないということではない。完全なる女子の世界。即ち全く知らない世界だったことだ。
人生に行き詰まった主人公がたまたま出合った『楽園』で半年を過ごし、そのまま「女の子」として生きていくことも出来るが、「女」になることを選択する。それは『楽園』をそのまま完璧な『楽園』として残すことにもなると主人公は考えた。
普通の環境から切り離された『楽園』に入ることは、一種の神隠し的なものを感じる。しかし、そこから出ることは自由で最低限の決まりを守れば幸せに暮らすことができた。勉強ばかりであった主人公がそこで得たものは、自己の肯定や気ままに過ごすことなど普通の人が持っていて、彼女にはないものであった。
『楽園』を出た後、主人公は勉強することにも意味を見出す。現実に帰ってきて、もう戻らない。危うい土台のその場所は彼女の中で永遠になったともいえる。
「夜遊び、してきた」
と戻った主人公は言う。夜明けを迎えたとよく分かる一言に読者は安堵する。
犬尾春陽の作品で安心できることは救いがあることだと思う。



「明日の影法師」感想

「明日の影法師」浜田あき著
ジャンル:エッセイ
購入金額100円
第二十七回文学フリマ東京の懇親会にて購入

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第二十七回文学フリマ東京で私が唯一購入した本である。
当日はほぼブースを離れていなかったため、じっくり本を見て回る余裕はなかった。財布の中身も余裕がなかったせいもある。
懇親会では大阪代表というよりも、いち出店者として動いていたので、各テーブルを回るということはしなかった。久しぶりに物書き然とした話をしたかったのである。そんな中、居合わせた御仁に話を聞いたところ、初出店で初めて本を出したという。見せて頂くと冒頭が面白かったのでその場で買った。
エッセイというジャンルは同人でも商業でもあまり買って読んでいない。けっこう人を選ぶジャンルだと思っている。
しかし、これを読んでエッセイもいけるなぁと思った次第だ。最近noteでエッセイを書いているのもこの本の影響がある。何がきっかけになるか分からないものだ。
因みに100円の本とあって、中身をつぶさに紹介はできない。
阿佐ヶ谷姉妹のエッセイを買った。」という一文が冒頭だと言えるのみである。そこから繰り広げられるのは、そのエッセイの感想ではないところも読み応えがあるから、次回の文フリ東京で見かけたら購入をお薦めする。

 

たいへん嬉しかった話

まだ咳も止まらぬ内にマフラーも手袋もするような寒さになり、いよいよ年末といった雰囲気である。勤め先では残業をしてはいけないという部署で定時に帰られるものの、首が回らないほど密度が濃い業務をしている。かなり理不尽なことで怒られることもあって、妻にまだかと言われているジョブチェンジも新年に本格化しようと下準備をしている。
家に帰れば穏やかだが、日中はイライラしていることがとても多い。今日も怒ることが何回もあった。
そんな中、ありがたいことに某所の皆様から誕生日祝いを頂いた。
写真の通りボールペンとしおりである。両方蒔絵が入った良い品だ。人からの贈り物は何を頂いても嬉しいが、これはひときわ嬉しかった。ボールペンは持ち歩くと傷がつきそうなので、家で書類を書くもの用にした。しおりは資料本用に使う。
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私の父は「わぁー嬉しい。大事にする」と言って失くす人だ。誰から貰ったかも忘れるほどである。幸い、私はその性格を受け継がなかったので、これは生涯使い続けると思う。
余談ながら、箱から出すまではTENGAじゃないだろうかとドキドキしていたことをその場では黙っていたことをここで告白する。

 

資料その1 忍の里の記録

歴史小説を書くにあたって資料本を集めてきた。
幅広い人ならもっと多いであろうが、私は戦国時代、特に伊賀と絞られているので資料本の所持数はそんなにないと思われる。もの書きは研究者ではないから、追い求めすぎてもいけない。過ぎ去った歴史の全てのことは分からない。それでも、ある程度のことは知りたいと思うのが常である。
伊賀は焦土と化してしまっているので余計に実態を知りたくなる。もっと研究が進めば良いのにと思うが、提供するお金もない。
前置きはさておき、紹介する一冊目は探して買った一冊。
中古でしか買えなかったものだ。
「忍の里の記録」である。

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他の資料本の参考文献にも載っていたもの。伊賀の実態が丁寧に書かれてある。忍者についての本は数あれど、大抵は忍者の由来から道具と術についてで終わっていることがほとんどだ。本書は天正伊賀の乱についても詳細に書かれていて、探し求めて欲しい一冊だ。PC横のミニ本棚に「すぐ手に取れる本」に入れて重宝している。