翠嶺クラフティング

個人作家、上住断靱の活動記録

若きウェルテルの悩み

かつて「帰宅したら弟がニート」という作品を書いた時に、母から言われたことがある。実のところこの小説は三割ほど実体験であった。それまで、私が体験したことを書いていない私は些か躊躇したのだが、母から「若きウェルテルの悩みのようやん。怒りのままに書いたら?良い物が出来る場合もあるし」との適当な発言を真に受けて書き上げた。
結果、怒りのまま書き上げられることはなかったが、私の門出作品として大きな存在となる作品になった。
今日、書くのはこの作品で起こった逆のことである。
先日、「私で役に立てることがあったら言って下さい」という言葉を頂いた。この言葉は非常にありがたい。何より自分のことを信用してくれている証であり、言った本人が人は一人で出来ることは限られているということを分かっている人物だという証明であり、言われた私も信用することができる。
誰しも駄目な部分があり、素晴らしいものを持っている。
それを押しつけ合わない心を私は大事に思っている。
「帰宅したら弟がニート」では、見事に寄りかかりの話であった。あの作品があることで私はいつも立ち返ることができる。
人は身勝手だ。
しかし、身勝手を出し合って助け合えることもある。但し人は限られる、と。
実際の「ウェルテルの悩み」はもっと純粋で盲目な作品である。

初めてのひなまつり

男兄弟しかおらぬ上住家ではひなまつりをしたことがない。母も自分のためにひなまつりをすることはなかった。恐らくひなあられが嫌いだったのだと思う。
今年は妻から「ケーキは食べていた」というので、ジョリジョリと髭を剃って、近所の近鉄百貨店まで行った。妻は留守番だ。女は化粧やら何やら準備で大変であるから、簡単な買い物なら男が行ったほうが楽である。
余談ながら化粧なしでもいいではないかと思った男がいるならば、それは妻に「女を捨ててもいいよ」と言っているのも同義なので口にしないほうがいい。口にした途端、山の神は寝そべっているトドと化してしまうだろう。
雨は既に止み、花粉症の薬を飲み忘れていたものの、ぐずぐずにならずに済んだ。思いの外、肌寒かった。
着いた百貨店には人が多く、ケーキ屋で少し待った。
ひなまつり限定のものにするか、普通のものを二つ買うか迷った挙げ句に「初めてひなまつりするからなぁ」と限定のものを買った。中々の値段であった。こんな性格だから金が貯まらないのだ。容赦なく右往左往する自転車から、ケーキの箱を庇いながら家を目指す。箱にぶつけたら、自転車から引きずり下ろしてやると気合を入れていたせいかすぐ脇を通る自転車はなかった。大阪は壊れ物を持って歩くのに、特別気を遣う場所である。
無事帰って「でっかい方を買った」と妻に言うと、特に怒られることもなかった。
「ひなまつり」と書かれたチョコレートプレートは妻にやって、自分は兎型のを二つ貰った。

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祖父の一周忌

昨日は祖父の一周忌であった。
あれからもう一年も経つのかと思うが、去年は結婚、引越の準備もあり、何かとバタバタしていただけに時間の流れが速く感じられたのだろう。しかし、何も成せぬままに時ばかりが過ぎている。
本作りは一朝一夕とはいかず、実績を積むにも時間がかかる。
焦っても仕方がないのだが、手元にお金がない分、やはり焦りが積もっていく。
だからといって、親戚づきあいを蔑ろにする理由にはならぬと、朝早くから支度をして妻と二人、神戸に向かった。三連休でも早朝だけに人は少ない。梅田の駅で人にもみくちゃにされることもなく、阪急電車に乗った。
途中、乗り換えた電車でよく分からない集団に機嫌が悪くなった私は電車を降りた。妻は「なんでそんなことをすんのかわかんない」と言ったが、それ以上は言って来なかった。
寺で坊主が経を唱えている間、寒さに耐えるということをやって、昼は祖母宅に戻り、親戚一同10人で食事をした。
宴会は「毎回同じになってあかんから」と祖母が気を利かせたため、ただでさえ多い猟師にデザートが加えられ、腹がパンパンになって動けぬようになった。
それからゆっくりと帰ったものの、帰宅したのは5時を回っていた。お土産に穴子寿司と従兄弟が買ってきたあべかわもちを持たされていたが、すぐには食べる気がしなかった。
どうにも腹が張り、座っているのもしんどいので横になって右に左にと寝返りを打つが、眠ることもままならない。仕方なく適当な本をKindleで開きながら、昨日行った友人の結婚式二次会を振り返った。

私の卒論

経済学部にいた私の卒論は「ヴァナディール経済論」だった。正式名称は「仮想世界の経済」であったが、取り上げたのはFF11で、その中の「ギル」をめぐる経済を取り扱った。一年以上に及ぶデータ収集と、中々狂った内容である。
事前に準備していたこともあって、卒論はゼミ生のなかで一番最初に提出した。
そのことで一時限丸ごとヴァナディール経済論を先生に質問されながら、話したことは良い思い出である。今思えば、もう少し踏み込めて出来たのではないかと反省するが、当時は大学四年間で学んだことを全てつぎ込んだつもりだった。
仮想世界の経済は、現実世界の色んな干渉があり、一筋縄にはいかない。
面白いジャンルではあるので、いつかきちんとした研究者が論文を書いて、本にしてくれやしないかと卒論から八年経った今でも待っている。

初詣と御朱印帳

昨日は寒風吹く中、初詣に行ってきた。
場所は初めて行く石切神社近鉄石切駅からは大阪市内が一望出来る。妻が行きたいと言ったからで、大阪に住んで八年になろうとしているが、そのままでは行くことがなかったかもしれない。
近鉄石切駅からは急な坂をひたすら下って神社を目指す。
行きはよいよい、帰りは辛いなと思い、商店を抜けていく。やたらと占い屋が軒を連ね、それなりに人が入って行くのを見ると、怪しげな大阪のおばちゃんに自分の人生を相談する勇猛な御仁が多いらしい。
それらを尻目に梅ヶ丘うどんという梅干しが入ったうどんで暖をとり、腹を満たした。

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店の名前は忘れたけれど、お茶が減れば「いりませんか?」と声をかけてくれる愛想の良い店であった。
店を出て更に下ると、急に道が狭くなる。
客引きに熱心な商店街に入り、そこを抜けると石切神社があった。
境内はそれなりの人で賑わい、皆熱心に手を合わせている。私も今年は願うことは多いと思ったけれど、長々となっては後ろに迷惑だからと作家らしく短くまとめて祈った。妻はこういうことに熱心であるから、きっちりとやっていた。
引いたおみくじは中吉でまあまあ、良い年になりそうだ。
そして、妻が御朱印を書いて貰っている間に、御朱印帳を買うかどうか迷っていた。中々気の利いたデザインの御朱印帳であったから、今年から始めようと愛想の良い巫女さんに頼んで買う。今まで多くの神社に行っていたから、今更感はあるけれど、これも何かの縁だ。少しでも出不精が直るじゃあないか。袋も買って次はどこへ行こうか考えている。

2018年抱負

昨年は皆様お世話になりました。今年もよろしくお願いします。

新年は夫婦二人で迎えたけれど、日付が変わった時はバタバタが落ち着いたなという感じでした。
さて、毎年書いている抱負ですが、去年の書く年に加えて読むことも増やしていこうと思います。去年以上にやることが増えていく年になりそうですけれど、常に精進し、こなしていきます。
ダラダラせずに動き続けていこうと気合入れています。
元日と明日までは遊んで過ごそうと思います。既にブログ書いたり、なんかしてしもうていますけれど。

総括2017

 2017年が終わる。今年は私個人に起きた大きなことがいくつもあり、変化の年であった。まだ続いているものもあれば、これからのこともあり、終わった出来事もある。

 年が変わってちょっとしてから、祖父が亡くなった。痴呆になることもなく、最期は病室であったけれど、激動の人生を90歳の大往生で終えた。元気な時は私とたくさん話した祖父で、色んなところにも連れていってくれた。弱ってからは私と話さなくなったが、言わずとも分かるだろうという信用があったのだと思う。

 続いて、文学フリマ前橋。これがなければ群馬県に足を踏み入れることはなかったんじゃないかと思っている。雪が降っていて、中々趣があった。その間に私の純愛うどんなでしこが布施に戻って来ている。

 そして、入籍と引越。
 遠距離で結婚する時に思いの外、たいへんなところがあったりした。そういう方がいたら相談に乗れるほどだ。結婚生活は始まったばかりで、これから乗り越えるべきことが多いと思うけれど、気張っていくしかない。
 その後、仕事では転勤となり、今までやっていたこととは全く違うことをやる役割になった。いきなりレベル1に戻されたわけだ。
 文フリ大阪は五年目の節目を無事に終えている。
 テキレボには久しぶりに参加。
 本も一年ぶりに作成。と、良い方向に転がった一年となった。
 今年の初めに「書く年にする」としたが、それは達成できたと思う。
 来年は更なる飛躍の年にしたい。